[コラム] 「黄昏迫るころ夕陽は美し#04 ある無罪事件」:大野恒太郎弁護士(顧問)

ある無罪事件

―私の検事としての原点―

 検事に任官して事実上最初に担当した事件が無罪となった。私はその事件の捜査を担当したのみならず、公判にも立ち会った。そして、その無罪は起訴した被告人が犯人であることに疑いがあることを理由とするものであった。
 もともと無罪判決が極めて稀である日本の刑事司法において、その職業生活のスタート時にこのような経験をした検事はおそらく他にいないであろう。
 私は40年にわたる検事生活の中で3回検事の職を辞することを真剣に考えたことがあるが、この事件の時がその第1回目である。
 当時の記録が残っておらず、専ら記憶に頼らざるをえない今、正確でないところもあると思うが、当時の捜査公判の経過を振り返り、反省も込めて、駆け出しの検察官であった私に何が足りなかったのかを振り返ることにしたい。
 

捜査

 事件は、ある会社において職場の運動クラブの貯金通帳2通と印鑑が盗まれ、付近の郵便局2か所で貯金合計15万円余りが払い戻されたという窃盗・有印私文書偽造同行使・詐欺の事案である。被疑者として逮捕されたのは、そのクラブのメンバーであるAさんであった。
 
 警察から事件が送致されたのが、休日であったため、日直の検察官がAさんの弁解を聞いた上で、裁判所に勾留請求を行い、その後、新任検事である私にその事件が割り替えられたのであった。
 その際、上司からは、私に対して、「被疑者は犯行を否認している。しかし、2か所の郵便局に提出された貯金払戻金受領証の筆跡が被疑者のものと一致するという鑑定書がある。また、被疑者自身も弁解録取の際に警察官、検察官、裁判官に対して受領証は自分が記載したことを認めている。否認のままでも起訴せざるを得ないであろうが、よく調べて納得のいく供述を得てもらいたい。」というような指示がなされた。
 
 その後、私はAさんの取調べに臨んだのであるが、Aさんの供述は当初の弁解と全く変わらなかった。すなわち、「受領証の記載は自分が書いたものだと思うが、通帳や印鑑を盗んだ覚えはなく、郵便局に行って貯金の払い戻しを受けたという記憶もない。」というのである。そして、「それならばどこでどういう経緯で受領証を書いたのか。」と問うと、「郵便局以外の場所で、誰かに頼まれて書いたような気がするが、具体的には思い出せない。」と答えるのであった。
 しかし、それはあり得ない話であった。なぜならば、受領証のうち1通には、払戻人欄における払戻人の氏名の前に運動クラブの名称が挿入されている部分があり、郵便局員の記憶では、その分は局員が指摘して窓口で書き入れさせたものだということであったからである。それを前提とすれば、記載者が自ら郵便局を訪問したことは動かしがたい事実であると認められた。なお、警察の捜査によれば、2か所の郵便局員にAさんの写真を見せた結果は、いずれも「似ているように思うが、断定はできない。」というものであった。
 また、取調べの過程で、Aさんに受領証の記載と同じ内容を白紙に書いてもらったが、その筆跡は郵便局に提出された受領証のものと酷似しており、逮捕前に警察が入手した鑑定書が結論する通り、両者は同一であると思われ、Aさん自身もそのことを認めていた。
 
 Aさんが自白したのは、勾留16日目であった。
 私は、雑談の中で、Aさんも私と同様山登りを好むことを知った。そこで、この日の取調べにおいて、Aさんに対し、「山登りをする人に悪い人はいないはずだ。本当のことを言って、責任を取り、出直して山に登ったらどうか。」などと話したところ、Aさんは、覚悟を固めたように「わかりました。」と言ってから自白を始めたのである。
 
 Aさんの自白は、大要「飲み会等で小遣いが足りなくなっていたところ、ある日会社の自分の席から、所属する運動クラブの幹事が貯金通帳をその机の中から取り出しているのが見えた。そこで、ほかの人が見ていない隙に、通帳と印鑑を盗み出し、その後、勤務時間中に会社を抜け出して郵便局2件を回り貯金を引き出した。通帳は千切った上、印鑑と一緒に近くの駅ホームのゴミ箱に捨てた。払い戻した現金は、その後遊興費等として支出した。」などというものであった。
 新任検事には立会事務官は配置されていなかったので、私はそうした内容を自分で筆記して調書を作成した。そして、そのコピーを取って、所轄警察署の担当警察官に渡し、調書の裏付けをとるように指示した。
 
 ところが、翌日、所轄署からは、Aさんが再び否認に転じたとの連絡を受けた。
 私がAさんを改めて地検に呼び,取調べを行ったところ、受領証については自分が書いたとの従来の供述を維持しながら、「すみません。この間の話は嘘でした。やはり私はやっていません。」と述べた。
 こうした経緯から、私に対する自白調書の内容については、裏付け捜査が行われないまま、延長後の勾留満期である勾留20日目の日、私は、筆跡鑑定と私に対する自白に基づき、Aさんを起訴したのである。
 

公判

 本件は、被告人であるAさんが否認しているということもあり、裁判所では合議体で審理することとされた。
 
 東京地検において捜査と公判は分業されており、それぞれ別の検察官が担当することになっている。
 しかし、新任検事である私は、合議体の公判担当で20年以上も年次が上の先輩検事の補助という立場で公判に立ち会うことを命じられた。おそらく上司は私に勉強の機会を与えようと考えたのだと思う。こうして、私は、この事件について捜査と公判の両方を担当することとなったのである。
 
 公判におけるAさんの主張は、「筆跡は似ているが、自分が書いたものではなく、自分は犯人ではない。」というものであった。また、検事(私)に対する自白は、事実に反する虚偽のものであるとのことであった。
 
 公判がどのような順序で進んだかについて、私の記憶はあいまいである。
 そうした中で今でも明瞭に覚えているのは、筆跡鑑定についての証拠調べである。
 逮捕前の鑑定は簡略なものであったことから、裁判所において改めて鑑定を行うということとなった。そこで、裁判所は、裁判官室に鑑定人候補者を呼び、検察官・弁護人同席の下で鑑定の要領について事前説明が行われた。ところが、その候補者は、鑑定資料である郵便局の受領証の筆跡とAさんが捜査段階で書いた対比資料の筆跡とを見比べた途端、即座に「これは同じですね。」と言い切ったのである。これに対し、弁護人が「そのように軽々に結論を出すようなことでは鑑定人として不適切である。」と反発し、その候補者は、鑑定人に選任されなかった。
 その後、別の鑑定人が選任され、ある程度の期間をかけて鑑定書が作成された。しかし、その結論も筆跡は同一であるとするものであった。
 
 弁護人がその鑑定書を証拠とすることに不同意であるとしたため、鑑定人の尋問が法廷で行われることになった。鑑定人は検察官の主尋問に対し筆跡は同一であると認める旨を証言した後、弁護人の反対尋問を受けた。
 私は、これほど見事な反対尋問はその後も見聞きしたことがない。弁護人は証言台に電灯を持ち込んだ。何をするのかと思ったところ、郵便局の受領証2通と対比資料であるAさんの筆跡に斜め上から光を照射したのである。そして、鑑定人に対して、拡大鏡を渡した上で、光を当てることによって浮かび上がった筆の重なり具合、縦線が先か、横線が先かなどについて確認を求めた。その結果、受領証2通とAさんが捜査段階で書いた何通りかの筆跡とは明らかに筆の重なり具合のパターンが異なること、つまり受領証とAさんの筆跡とでは筆順が違うことが明らかになった。
 こうして、両者が同一であるとする鑑定書の結論には重大な疑念を生じ、この事件を起訴する際の動かぬ証拠であると考えていた筆跡の同一性の点が大きく揺らぐこととなったのである。
 
 また、私に対する自白の内容にも疑問が投げかけられた。
 前述の通り、自白によれば、犯行のきっかけは、Aさんの座席から運動クラブ幹事がその席で預金通帳を取り出すのを見たことであった。そこで、果たしてそのようなことが可能であるかにつき、裁判所は会社の事務室の現場検証を行ったのであるが、Aさんの席からは間の柱に邪魔されて幹事の席を見通すことができなかったのである。
 
 さらに、自白の経緯にも問題があることが明らかになった。
 Aさんの側の主張によれば、Aさんが私に対して自白したのは、その前に、担当の警察官から「君は初犯なのだから、自白すれば起訴されないかもしれない。」と示唆されたからであるということであった。そして、担当警察官も、法廷において、証人として、Aさんに対してそうした趣旨のことを述べた事実を認めたのである。
 もっとも、かりに警察官がそのような言動をしたとしても、検察官である私の取調べに対する自白が直ちに任意性を失うことにはならない。検察側としては、私の取調べは警察官の言動から遮断されたものであり、私に対する自白には任意性があるということを立証するため、私が証人として証言台に立つことになった。
 そこで、私は公判の最中、検察官席から証人席に移り、先輩検事による尋問を受けたのである。そして、私は山の話をしたこと等自白の経過を証言した。弁護側としても、私の取調べに問題があったと主張しているものではなかったため、私に対する反対尋問は全く行われなかった。
 

判決

 このような経過を経て一審の審理を終え、判決が下されたのである。
 判決は無罪だった。私に対するAさんの自白の任意性は認められたが、肝心の筆跡の同一性に大きな疑問があり、自白もその経緯や内容から信頼できないということになれば、無罪は避けられなかったと思う。検察側は控訴することなく、無罪判決が確定した。
 
 無罪判決は公判の経過から覚悟していたが、検事になったばかりの私にとっては、厳しい結果であった。
 
 私は、自分の誤った起訴によって取り返しのつかない被害を与えてしまったAさんにどのようにお詫びをすべきかについて悶々とした。そして、人の運命を左右する検察官の職責の重さに改めておそれを感じ、この先検事として仕事を続けていく自信を失った。
 そこで、この事件で一緒に公判に立会った先輩検事や上司に対し、率直に自分の思いを告げ、Aさんに謝罪した上で検事を辞めることについて相談したのである。
 
 それに対する先輩や上司の意見は、一致して次のようなものであった。
 すなわち、私は、検察官としてこの事件に関わったものである以上、私人としてではなく、あくまでも国家機関である検察官として行動すべきである。そして、検察官としては、一定の嫌疑があった場合には、起訴等を行うのは当然であり、結果的にそれが誤っていたからといって直ちに辞職するようなことでは刑事司法制度が成り立たない。捜査や起訴における落ち度の有無は、いずれ国家賠償訴訟によって争われ、最終的には裁判所によって判断される事柄であるから、それを待つべきである。この時点で個人としてAさんに謝罪することは、かえって国の機関としての検察の職責や制度の運用に混乱をもたらすことになるので避けなければならない。かりに捜査・起訴に反省すべき点があると考えるのであれば、その教訓を今後の検察官としての職務に生かすべきである。検察や社会が私に期待しているのは、そのことである。
 
 先輩や上司の言うことには筋が通っているように思われた。そこで、私は、その指導に従うことにしたのである。
 
 Aさんの側からは、果たしてその後国家賠償請求訴訟が提起された。数年後、判決が下されたが、私については、証拠の収集に多少の疎漏があったとしても、起訴の判断が経験則を著しく逸脱したものということはできないとして、その違法性は否定され、国に対する損害賠償請求は棄却された。
 

反省と教訓

 ところで、法律的な意味における違法性の有無は別として、自分なりに事件を振り返ってみると、そこには多くの反省点や教訓があった。
 
 一点目は、捜査は数学のように論理で割り切れるものではなく、証拠評価に伴う不確実性も踏まえて進めるべきであったということである。
 私は、受領証の筆跡とAさんの筆跡が酷似しており、逮捕前の鑑定書がその同一性を認めていたことや、Aさん本人も一貫して受領証を自ら記載したことを認めていたことから、それを動かぬ事実であるとの前提に立ってしまった。その上で、前述のように受領証は郵便局において加筆記入されていることから、論理必然的に、Aさんが犯人であるはずだと決めてかかり、犯行をめぐる周辺の事情に関する捜査を十分に行わなかったのである。
 
 しかし、筆跡鑑定は、もともとその正確性には疑問の余地があるのだから、それを鵜吞みにすべきではなかった。そして、Aさんの弁解が客観的状況と矛盾していたことについては、それが虚言ではなく、本人の誤解に基づくものである可能性にも思いを至らせるべきであった。
 そもそも鑑定は、一般的に客観的なものととらえられがちであるが、その結論がしばしば正反対のものになる点に照らしても、これに過度のウェイトを置くことは危険である。したがって、常に事件全体の証拠関係を見渡した上で、それが本当に正しいのかを吟味することを怠ってはならないのである。その後、DNA型鑑定の精度の飛躍的向上によって再審で無罪が明らかになった足利事件などは、鑑定の評価に潜在する危険性を示す好例であろう。
 また、私は、筆跡の同一性をめぐる問題とは別に、Aさんが犯人であることを疑わせる事情も含めて幅広く捜査をなすべきであった。そうすれば、Aさんが犯人ではない(あるいはAさんとは別の犯人がいた)ことを示す証拠を得て、事件の見方を大きく変えることとなったかもしれないのである。
 
 二点目は、取調べについてである。
 Aさんの事件において、私が最も反省するのは、筆跡の関係でAさんが犯人であるという思い込みの上に立って、専らAさんから自白を得ようとする方向で取調べを行ったことである。これはその後様々な事件で検察官による取調べをめぐってなされた批判と相通じるところがある。
 
 かりに取調べにおいて身に覚えがないというAさんの話にもっと耳を傾けていれば、Aさんが犯人でないことを示す手がかりが得られたかもしれない。
 さらに、私自身、取調べを行っている際に、犯行を否認するAさんが嘘をついているという確信を持てなかった。例えば、Aさんに受領証と同内容の記載を求めると、Aさんは受領証の筆跡そっくりそのままの記載を行い、自ら「やっぱり私の字ですよね。」などと発言していた。そこには何の作為も感じられなかったが、かりにAさんが本当に犯人であるとすれば、むしろ受領証とはことさらに異なった筆跡を残したのではないかとも思われた。
 また、Aさんが自白を始めた際には、いささか拍子抜けした覚えがあり、とにかく供述した通りを調書に録取した上で、その内容の真否について、警察官に裏付けを指示したのである。しかし、Aさんはその翌日には再び否認に転じてしまったことから、結局、自白の内容の吟味が十分になされなかったことは前述の通りである。
 
 私は、こうした反省を受け、その後は、ともかく被疑者の弁解に虚心坦懐に耳を傾けることを心掛けた。そして、特に十分な心証が得られない場合には、その弁解に基づき裏付け捜査を行い、それによってその弁解の真否や嫌疑の十分性について判断するようにした。
 後年、被疑者の弁解からそのアリバイを示す証拠を発見し、被疑者を不起訴にしたところ、その後別人である真犯人が判明したこともあった。
 取調べは、事件についての心証を形成するとともに、真相解明のため能動的な捜査を行う際の手がかりを得る上で有用な捜査手段と位置付けるべきである。そして、捜査側が思い描くような内容の自白の獲得にとらわれることの危険性を常に念頭に置く必要がある。
 
 三点目は、第一線警察官との関係である。
 一審判決は、Aさんが私に対して自白した翌日、担当警察官の取調べにおいて否認に転じた経緯に関し、Aさんが警察官から「噓を言うな」と言われた事実を認定している。そして、自白した被疑者に対して警察官がそのような発言をすることは極めて異例であるとしているのである。
 裁判所は、その理由につき、警察官はAさんが自分に対してではなく年若い検事に自白したことに反発したことが考えられるとする一方で、事情を良く知る警察官としてはその時点で実はAさんが犯人でないことを知っていたのでそのような言動に出た可能性も否定できないと述べている。これは実に意味深長な判示である。
 
 既に述べた通り、私に対する自白の内容は、担当警察官であれば把握していたであろう現場の状況等とは矛盾するものであった。したがって、警察官は私から渡された自白調書を一読して直ちにそれが虚偽であることを見破ったのかもしれない。警察から送致された事件については、基本的に現場の警察官の方がはるかに事実関係に詳しい。そうしたことから、私以上に長い時間Aさんの取調べに当たってきた担当警察官としては、その時点でAさんが犯人ではないことに気付いていたこともあり得ると思われた。
 しかし、警察内部の決裁手続を経て、裁判所に逮捕状を請求し、Aさんを逮捕して検察官に送致をした以上、かりにその後の捜査で犯人性に誤りがあることに気付いても、様々な思惑からそれを言い出すことができなかったということも考えられる。
 
 そこで、私は、その後は、そうした可能性も念頭に置き、捜査を直接担当する警察官との意思の疎通を心掛けた。警察官としても、かりに捜査の方向性を誤った場合には、検察官の不起訴によって対応した方が、裁判所の無罪判決に至るよりも、本来ダメージは少なくて済むはずである。中には、検察官が起訴してしまえば、後は検察官の責任であるというような考え方をする者もいるかもしれないが、そこは警察と検察の平素の意思疎通や信頼関係の如何によるであろう。
 そして、実際、別の地検に勤務した際に、警察官との密接な意思疎通を心掛けていたことが役に立ち、私の方から警察官に対し勾留した被疑者に関して抱いた様々な疑問を伝えたところ、「実は私もおかしいと思っていました。」などと言われ、誤った起訴を避けることができたこともあった。
 
 私は、結局その後も40年にわたって検察官の仕事を続けることになった。しかし、検事としての出発点におけるこの事件のことを忘れたことはない。その意味で、この無罪事件は私の検事としての原点となった。
 
 今でもAさんには申し訳なかったと思っている。

 

著者等

顧問/コンサルタント

大野 恒太郎 Kotaro Ohno

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