[コラム] 「民訴法学あれこれ #07 債権者代位訴訟」:高橋宏志(顧問)
債権者代位訴訟
民訴法学あれこれ #07
2025.4.4
私は、50年、民訴法の研究者として過ごしてきた。その間に、民訴法学もずいぶんと変わったと言うことができ、そのいくつかを綴ってみることとする。今は昔、の物語である。
今回は、債権者代位訴訟を採り上げる。債権者Gの債務者Sに対する債権をGS債権、債務者Sの第三債務者Dに対する債権をSD債権と表記しよう。債権者代位に関しては、三ケ月章先生の学説が重要である。さて、債権者代位はフランス民法(1804年)経由のものであり、ドイツ民法(BCB。1886年公布、1900年施行)にはない。他方、法定訴訟担当という概念はドイツ民訴法経由のものであり、フランス民訴法では十分成熟していないものであった。その両者が、日本において、大正15年民訴法改正の後に債権者代位は法定訴訟担当だという形で結び付いたのであり、沿革からして、そもそも無理があったというのが三ヶ月説の出発点である。ちなみに、債権者代位はドイツ民法にはないが、それに替わる機能を、債務者Sの一般財産の保全という本来型の債権者代位では債権執行と保全処分(仮差押え・仮処分)が担い、債務者Sの特定財産の保全(つまりは債権者Gの非金銭債権)という転用型の債権者代位では任意的訴訟担当が担っている。任意的訴訟担当の持つ実際上の意味は、債権者代位のあるなしを介してドイツと日本では大いに違っているのである。
さて、ナポレオン法典の1つである1806年のフランス強制執行法は、今日の目から見るとまだ「不完全」であった。ビスマルク執政下で1877年にドイツで強制執行法(民事訴訟法の一編)が整備されたが、ドイツ法の目で眺めると、フランスの債権者代位は債務名義なしに他人の権利へ介入するもの、いわゆる「私的差押え」となり、債務者への配慮に欠ける面がある。債権者代位は、立法論としては廃止すべきだというのが三ヶ月説であった。
実は、平成29年債権法改正の審議の当初はこの三ケ月説の線で進んでいた。また、廃止とまでは行かない考え方でも、債権者Gが自己の債権(被保全権利、GS権利)の満足を直截的に得られることには批判があり、当初は債権者Gは自己に給付された金銭の債務者Sへの引渡債務と自己の被保全権利とを相殺することができない、もっと踏み込めば、第三債務者Dは自己(債権者G)に対して支払えという請求はできず、第三債務者Dは(債権者Gに対してではなく)債務者Sに対して金いくら支払えという判決主文になるという立案も提出されていた。債権者全体のための共同担保財産という発想であり、一応、フランスの現在の通説である(ただし、フランスはいわゆる接ぎ木型もあり複雑)。
ところが、日本での実務を見てみると、本来型の債権者代位よりも転用型の債権者代位、すなわち共同担保財産でないところでの債権者Gの非金銭債権保全のための債権者代位の持つ意味が大きい。たとえば、賃借人による代位である(賃貸物=賃借物を第三者が不法占有しているのに賃貸人がなにもしてくれない。そこで、賃借人が賃貸人に代位して取戻し請求をする。ただし、この状況は、債権法改正による民法605条の4の新規定により賃借人は占有者に対して直接の請求ができることになり債権者代位の必要性はなくなった)。債権者代位の判例といわれているものも、そういう事案のものが多い。そこで、立案過程では、転用型の債権者代位は残すべきだということになったが、そうなると、転用型だけ残し本来型は廃止するということになるけれども、立法としての形が悪いことになる。さらに、本来型であっても、左前になり機敏に動かなくなった雇用主(債務者S)の第三債務者D(取引先)に対する債権によって労働者のGS債権を満足させる必要があるとの指摘が労働団体推薦の委員によって法制審議会の部会でなされた。これら双方の理由から、本来型の債権者代位も残ることになった、というのが立法過程での動きであった。さらに、本来型を残してよいという流れは、勢いの赴くままに、債権者Gが自己への給付を求めてよい、自己のGS権利の満足を直截受けてよい(相殺は禁止されない)、という従来の判例を変えることはないというところにまで行き着いた。債権者Gの権利実現、債権回収の途を肯定的に評価したということになる。結局、三ヶ月説は、日の目を見なかったことになる。
これを、どう見るか。結局は、100年に渡る実務の重みが最後には勝ったということであろう。立法は、学説の説く筋の通った考え方だけでは足りない。培われた実務の重みを乗り越えるのは容易ではないということであろう。
しかし、実現した平成29年の改正債権法は、「私的差押え」という批判を受け、債権者代位訴訟の提起があっても、債務者SのSD債権の管理処分権は失われないと踏み切った。判例の否定である。他方、前述のように実務の要請を受け、債権者Gは、被告第三債務者Dに対して、直接に自己への給付を求めることができるという判例の立場は維持した。その結果、債権者Gの第三債務者Dに対する債権者代位訴訟と、債務者Sの第三債務者Dに対する給付訴訟が併存しうることとなった。先に債権者Gが債権者代位訴訟を起こし、後から債務者Sがそこに参加してくる場合、旧規定では債務者Sには当事者適格がないので共同訴訟的補助参加となると解されていたが、債務者Sにも当事者適格がある新規定の下では共同訴訟参加となるのか、それとも給付の受領先が債権者Gか債務者Sかで分かれるから独立当事者参加となるのか問題となる。また、併存の結果、請求認容の場合の判決主文は、どうなるか。第三債務者Dは、債権者Gに対しても金いくらを支払え、債務者Sに対しても金いくらを支払えという重畳的な債務名義を作るのか。それとも、債権者Gと債務者Sのどちらかを優先させるのか。新たにこういう問題も生んでいる。
不平等条約改正という正当な目的があったとはいえ、明治期に、フランスの債権者代位とドイツの強制執行の双方を内的調整を考えることなく継受したのは、今から振り返れば、賢明ではなかったというべきであろう。法律は作ってしまうと、予期しなかった動きをし、副作用を生むこともある。実務が形成されてしまうと、それを覆すのが容易なことではなくなることもある。債権者代位をめぐる諸問題は、こういうことを痛感させるものである。立法というのは、かくして、神経をすり減らす重い仕事となる。しかし、それだから、それだからこそ、立法の後で、諸要請を調整する法解釈論(学説)は意義あるものとなり、魅力ある知的営みとなる、と思いたい。詳論できないが、三ケ月説も、深いところでは、今次の債権法改正の中に生きているというのが私の見立てである。
今回は、債権者代位訴訟を採り上げる。債権者Gの債務者Sに対する債権をGS債権、債務者Sの第三債務者Dに対する債権をSD債権と表記しよう。債権者代位に関しては、三ケ月章先生の学説が重要である。さて、債権者代位はフランス民法(1804年)経由のものであり、ドイツ民法(BCB。1886年公布、1900年施行)にはない。他方、法定訴訟担当という概念はドイツ民訴法経由のものであり、フランス民訴法では十分成熟していないものであった。その両者が、日本において、大正15年民訴法改正の後に債権者代位は法定訴訟担当だという形で結び付いたのであり、沿革からして、そもそも無理があったというのが三ヶ月説の出発点である。ちなみに、債権者代位はドイツ民法にはないが、それに替わる機能を、債務者Sの一般財産の保全という本来型の債権者代位では債権執行と保全処分(仮差押え・仮処分)が担い、債務者Sの特定財産の保全(つまりは債権者Gの非金銭債権)という転用型の債権者代位では任意的訴訟担当が担っている。任意的訴訟担当の持つ実際上の意味は、債権者代位のあるなしを介してドイツと日本では大いに違っているのである。
さて、ナポレオン法典の1つである1806年のフランス強制執行法は、今日の目から見るとまだ「不完全」であった。ビスマルク執政下で1877年にドイツで強制執行法(民事訴訟法の一編)が整備されたが、ドイツ法の目で眺めると、フランスの債権者代位は債務名義なしに他人の権利へ介入するもの、いわゆる「私的差押え」となり、債務者への配慮に欠ける面がある。債権者代位は、立法論としては廃止すべきだというのが三ヶ月説であった。
実は、平成29年債権法改正の審議の当初はこの三ケ月説の線で進んでいた。また、廃止とまでは行かない考え方でも、債権者Gが自己の債権(被保全権利、GS権利)の満足を直截的に得られることには批判があり、当初は債権者Gは自己に給付された金銭の債務者Sへの引渡債務と自己の被保全権利とを相殺することができない、もっと踏み込めば、第三債務者Dは自己(債権者G)に対して支払えという請求はできず、第三債務者Dは(債権者Gに対してではなく)債務者Sに対して金いくら支払えという判決主文になるという立案も提出されていた。債権者全体のための共同担保財産という発想であり、一応、フランスの現在の通説である(ただし、フランスはいわゆる接ぎ木型もあり複雑)。
ところが、日本での実務を見てみると、本来型の債権者代位よりも転用型の債権者代位、すなわち共同担保財産でないところでの債権者Gの非金銭債権保全のための債権者代位の持つ意味が大きい。たとえば、賃借人による代位である(賃貸物=賃借物を第三者が不法占有しているのに賃貸人がなにもしてくれない。そこで、賃借人が賃貸人に代位して取戻し請求をする。ただし、この状況は、債権法改正による民法605条の4の新規定により賃借人は占有者に対して直接の請求ができることになり債権者代位の必要性はなくなった)。債権者代位の判例といわれているものも、そういう事案のものが多い。そこで、立案過程では、転用型の債権者代位は残すべきだということになったが、そうなると、転用型だけ残し本来型は廃止するということになるけれども、立法としての形が悪いことになる。さらに、本来型であっても、左前になり機敏に動かなくなった雇用主(債務者S)の第三債務者D(取引先)に対する債権によって労働者のGS債権を満足させる必要があるとの指摘が労働団体推薦の委員によって法制審議会の部会でなされた。これら双方の理由から、本来型の債権者代位も残ることになった、というのが立法過程での動きであった。さらに、本来型を残してよいという流れは、勢いの赴くままに、債権者Gが自己への給付を求めてよい、自己のGS権利の満足を直截受けてよい(相殺は禁止されない)、という従来の判例を変えることはないというところにまで行き着いた。債権者Gの権利実現、債権回収の途を肯定的に評価したということになる。結局、三ヶ月説は、日の目を見なかったことになる。
これを、どう見るか。結局は、100年に渡る実務の重みが最後には勝ったということであろう。立法は、学説の説く筋の通った考え方だけでは足りない。培われた実務の重みを乗り越えるのは容易ではないということであろう。
しかし、実現した平成29年の改正債権法は、「私的差押え」という批判を受け、債権者代位訴訟の提起があっても、債務者SのSD債権の管理処分権は失われないと踏み切った。判例の否定である。他方、前述のように実務の要請を受け、債権者Gは、被告第三債務者Dに対して、直接に自己への給付を求めることができるという判例の立場は維持した。その結果、債権者Gの第三債務者Dに対する債権者代位訴訟と、債務者Sの第三債務者Dに対する給付訴訟が併存しうることとなった。先に債権者Gが債権者代位訴訟を起こし、後から債務者Sがそこに参加してくる場合、旧規定では債務者Sには当事者適格がないので共同訴訟的補助参加となると解されていたが、債務者Sにも当事者適格がある新規定の下では共同訴訟参加となるのか、それとも給付の受領先が債権者Gか債務者Sかで分かれるから独立当事者参加となるのか問題となる。また、併存の結果、請求認容の場合の判決主文は、どうなるか。第三債務者Dは、債権者Gに対しても金いくらを支払え、債務者Sに対しても金いくらを支払えという重畳的な債務名義を作るのか。それとも、債権者Gと債務者Sのどちらかを優先させるのか。新たにこういう問題も生んでいる。
不平等条約改正という正当な目的があったとはいえ、明治期に、フランスの債権者代位とドイツの強制執行の双方を内的調整を考えることなく継受したのは、今から振り返れば、賢明ではなかったというべきであろう。法律は作ってしまうと、予期しなかった動きをし、副作用を生むこともある。実務が形成されてしまうと、それを覆すのが容易なことではなくなることもある。債権者代位をめぐる諸問題は、こういうことを痛感させるものである。立法というのは、かくして、神経をすり減らす重い仕事となる。しかし、それだから、それだからこそ、立法の後で、諸要請を調整する法解釈論(学説)は意義あるものとなり、魅力ある知的営みとなる、と思いたい。詳論できないが、三ケ月説も、深いところでは、今次の債権法改正の中に生きているというのが私の見立てである。