[コラム] 「民訴法学あれこれ #01 訴訟物」:高橋宏志(顧問)
訴訟物
民訴法学あれこれ #01
2021.10.13
私は、昭和46年(1971年)に新堂幸司先生の下で大学に残していただいた。それから丁度50年、研究者として過ごしてきたことになる。50年とは、思えば、長い年月である。その間に、民訴法学もずいぶんと変わったと言うことができる。そのいくつかを綴ってみたい。今は昔、の物語である。
最初は、訴訟物論を取り上げたい。ある事案が不法行為でも債務不履行でも請求を認容できるとき、実体法上の不法行為と債務不履行で訴訟物は2つとなるのか(旧訴訟物説)、それとも、どちらでも給付を要求できる額は同じだとして訴訟物は1つだと考えるか(新訴訟物説)の論争である。この訴訟物論争は、戦前にも萌芽があったものの、戦後は昭和30年代前半に北海道大学の小山昇教授、東京大学の三ケ月章教授、新堂教授によってはなばなしく展開された。民訴法学における戦後最大の論争であったと言ってよい。昭和30年代は、これらを受けてほとんどすべての民訴学者が自己の訴訟物論を展開し、訴訟物論以外の民訴の問題はないかのごとき様相であったという。ニュアンスに差はあるものの、学説のほとんどは新訴訟物説であり、学問上は新訴訟物説の優位は疑いないものとされていた。大学の授業でも、私が学生の頃の昭和40年代では、多くのコマ数が訴訟物に割かれていた。
今や、その面影はない。訴訟物論が燃え上がったのは、訴訟物が決まれば訴えの併合、訴えの変更、重複訴訟禁止、既判力の4つが定まることとなり、訴訟の骨格が固まると理解されたからである。それは民事訴訟法学の根本問題だと意識された。当時は、訴訟物に関する説という表現ではなく、新訴訟物理論と呼び理論と自称していたのである。訴訟物論争は、日本の民訴法学が兼子理論によって相対的に独自の展開を遂げてきたのに対して、再びドイツ民訴法学の主流の考え方を導入しようとしたという面を持ったが、しかし、研究が進むにつれて、ドイツでは訴えの変更の要件が厳しく、従って、訴えの変更を容易にするために訴訟物が論ぜられたが、日本では大正15年民訴法改正によって訴えの変更の要件は緩くなっていたため、既判力の範囲が訴訟物論の戦場となったことが明らかとなっていった。ドイツと日本では、学問関心の所在、つまりは動機が異なっていたのである。しかも、ドイツの新訴訟物説では、既判力の範囲は理窟を講じて狭く解する説も有力であった。また、日本では、既判力の主観的範囲(人的範囲)と訴訟承継での訴訟物の役割が重要論点とされたが、ドイツではこれらはほとんど論点とはされなかった。ドイツでは申立てと事実関係という二分肢説の新訴訟物説が支配的学説だが、日本では申立てだけの一分肢説が主流であった。やはり、直輸入という時代ではなくなっていたのであり、ドイツがくしゃみをすれば、日本は風邪を引くという状況は、くずれていくのである。ただし、ドイツ民訴法学が依然として日本民訴法学の貴重な先生であることに変わりはない。
論争が深化していくにつれ、訴えの併合、訴えの変更、重複訴訟禁止、既判力の4つで訴訟物が決定的な役割を演ずるという理解は後退していき、たとえば重複訴訟禁止は重複訴訟禁止として、訴えの変更は訴えの変更として相対的に訴訟物とは離れて議論されるようになった。実は、これが訴訟物論争がもたらした学問上の最大の成果であるけれども、研究が進むにつれて訴訟物の地位、重要性が低下したというのは皮肉なものである。否、学問とはそういうものかもしれない。
そして、ある意味で決定的であったのは、日本の判例が信義則を駆使して(見ようによっては、濫用して)判決効の範囲を拡張したことによって、新訴訟物説の最大の利点が失われたことが挙げられよう。信義則を駆使すれば(濫用すれば)、旧訴訟物説を採ったとしても新訴訟物説と違わない実務上の帰結を導くことができるようになったのである。学説もそれに照応して、平成10年に伊藤眞教授の体系書が旧訴訟物説に復帰したのが象徴的であった。旧訴訟物説に立つ学者は増えており、いくつかの教科書は、現在では、旧訴訟物説と新訴訟物説とはほとんど差異はなくなったとも論ずるようになっている。
訴訟物論争は、かくて、強者(つわもの)どもの夢の後となった。大学の講義でも教師は今では訴訟物論に熱を入れなくなったようである。法科大学院の学生のほとんどは、実務が旧訴訟物説であることから、深く考えることなく旧訴訟物説に立つ。新訴訟物説の凋落は甚だしいものがあるが、これは、学問が実務を変えることができなかった、学問が実務に負けた、ということである。私が学生であった昭和40年代は、大学紛争が吹き荒れた時期でもあった。三ケ月先生などは、大学紛争によって大学ないし学者の威厳、権威が消失し、反面、実務家が自信を持つようになったと言っておられたが、そういうことでもあろう。しかし、果たして訴訟物論はこれでよいのであろうか。私も実際上の帰結を重視する実用法学に肩入れする一員だと自覚しているけれども、学問は実用法学だけに尽きるものではない。訴訟物論が呼び起こした論点は、今でも、理論上はすべてが解決されたわけではない。仮に実際上の帰結に差異はなくなったとしても、理論体系上の精密さの差異はなくなっていないはずである。私は悲哀をかこちつつもいまだに新訴訟物説に立ち、「旧〔訴訟物〕説は(見方によっては)解釈論として手堅いかもしれない、他方、新〔訴訟物〕説には学問としてロマンがある」と唱えている(拙著『重点講義民事訴訟法 上(第2版補訂版)』(平成25年、有斐閣)64頁)。