[コラム] 「民訴法学あれこれ #03 形成訴訟」:高橋宏志(顧問)

形成訴訟

民訴法学あれこれ #03

2022.10.04

 

私は、およそ50年間、民事訴訟法の研究者として過ごしてきた。その間に、民事訴訟法学もずいぶんと変わったと言うことができ、そのいくつかを綴ってみることとする。今は昔、の物語である。

 

今回は、形成訴訟について語りたい。教科書では、民事の訴えの三類型として、給付の訴え、確認の訴え、形成の訴えが語られる。なんとなく対等の類型のように理解してしまいがちであるが、そうではない。形成の訴えというのが異色であり、捉えがたいところがあるからである。建物買取請求権や意思表示の取消権等の「実体法上の形成権」に係わる訴えが、形成の訴えだという訳でもない。異色というのはまず第一に、給付の訴え、確認の訴えでは、訴えの利益による調整はあるものの、権利があれば、類型としてその訴えは肯定される。1000万円支払えという権利があれば、給付の訴えも提起できるし、確認の訴えも提起することができる(確認の利益がないとされるけれども、訴えの類型として否定されるわけではない)。しかし、1000万円支払えという権利があっても形成の訴えを提起することは、訴えの類型として肯定されない。形成の訴えは、法が形成の訴えというルートを肯定している場合にのみ認められるものだからである。第二に、形成の訴えという訴訟類型は、1900年前後にドイツで発見された概念類型である。しかし、英米法ではこういう類型は認識されていない。もちろん、英米法でも形成の訴えの典型例である離婚の訴え等は存在するが、それらを形成の訴えとして概念化し類型化することはしていない。形成の訴えが比較法的に普遍的な概念類型だと言うことはできない。第三に、形成の訴えは、法が形成の訴えのルートを肯定している場合に認められるとされるけれども、民訴法上、形成の訴えにかかわる明文は存在しない。実体法でも、形成の訴えだとする明文は見当たらない。すべて、法の解釈によるのである。これは、形成の訴えが発見されたのが1900年前後のドイツの学説によってであり、それ以前に民訴法典、民法典が制定されていたことからすれば不思議なことではないが、明文の根拠を欠くことは否めない。

 

形成の訴えは、判決によってのみ法律関係・権利関係が変動させられる類型を言う。言い換えれば、判決がなければ法律関係・権利関係の変動を主張することができない類型を言う。必ず判決を経させることにより、法律関係・権利関係の変動に明確性を持たせることにしたのであり、対世効が与えられることも多い。さて、形成の訴えという類型が発見されたドイツでは、給付の訴えも実は形成の訴えだという学説が生じていた。給付判決によって、実体権に執行力が付与されるのであるから、これも法律関係・権利関係の変動だというのである。確かに、そう言えなくもないが、現在では執行力は潜在的には実体権に内在すると理解されており、判決はそれを形式的に明らかにするに過ぎないと理解すべきものである。執行力が付与されることと、株主総会決議や行政処分が取り消されることとは、実体法状態を異にし、給付の訴えを形成の訴えに吸収するのは行き過ぎであろう。また、ドイツでも日本でも、形成の訴えには、実体法上の形成の訴えと訴訟法上の形成の訴えとがあるとも論ぜられた(現在でも論ぜられることはある)。実体法上の形成の訴えとは、株主総会決議取消しの訴えや行政処分取消しの訴え、離婚の訴え等々である。訴訟法上の形成の訴えとは、請求異議の訴え、第三者異議の訴え等の執行法上の訴え、さらには再審とか仲裁判断取消の訴え等々である。もっとも、請求異議の訴え等は、多数説は形成の訴えだとしていたが、兼子理論では確認の訴えだとしていた。これは、形成の訴えだとすると異議権(または異議の形成要件)の存否が訴訟物となりそこにのみ既判力が生ずるが、それでは強制執行を取り消された者からの不当利得返還ないし不法行為に基づく損害賠償を封ずることができず不合理な面が生ずると考えられたからである。しかしながら、これは実体権の存否を巡る通常の訴えと、判決が出た後の訴訟法上の世界での訴えを同じ次元で論じようとすることから生ずる混乱だとみるべきである。判決が出た後の訴訟法上の世界での訴え、つまり訴訟法上の形成の訴えは、通常の訴えとは次元が異なる世界のものであり、給付、確認、形成の三類型に押し込むことが適切ではない。そもそも、執行法上の訴えは、実体権と訴訟手続が融合された古いアクチオの法形態が残っている面があり、それをアクチオが実体法と訴訟法に分解した後の近代法における給付、確認、形成の三分類に押し込めることに無理がある。執行法上の訴えには、竹下守夫教授が提唱した命令訴訟という別の類型概念がふさわしい(確認と形成の両面を持つ)。詳論できないが、再審の訴えにも問題がある。

 

以上は、形成の訴えの範疇を拡大する動きであったが、現在ではその反動として形成の訴えの縮小化が見られる。離婚の訴えに対する婚姻無効の訴え、株主総会決議取消しの訴えに対する株主総会決議無効の訴え等をどう分類するかである。婚姻無効の訴えは、かつては、訴訟法学者は形成の訴えだとし、実体法学者は確認の訴えだとしていたが、現在では訴訟法学者でも確認の訴えだとするのが多数説である。しかし、確認の訴えだとすると、判決を経ずに無効事由を別の訴訟で主張することができる。たとえば、婚姻無効を前提とする不当利得返還請求の訴えの中で主張することができることになる。とすると、AB夫婦に対してCが提起した訴訟では判決理由中の判断で婚姻は無効とされ、Dが提起した訴訟では婚姻は無効ではないとされることが生じうる。むろん、大規模事故の損害賠償請求訴訟で、Eが提起した訴訟では被告に過失ありとされ、Fが提起した訴訟では被告に過失なしとされること(判決の相対性)は、民事訴訟法が一般的に認めていることであり、ここでも訴訟物は不当利得返還請求という財産上のものであるから同じことだと言うことができないわけではない。そうではあるのだが、裁判所の判決の中で婚姻が有効か無効かが明確でなく不安定だというのは社会生活上望ましいことではない。また、婚姻無効事由は人違いや届出(意思)なしという法律上明確であるから裁判官によって判断が区々別々となることはまずないという感覚が暗黙に援用されるけれども、届出(意思)があったかなかったかの事実認定が微妙で判断が分かれることはあり得ることである。さらに、形成の訴えだとすると、まず婚姻無効の訴えを提起し、その勝訴判決を得てから不当利得返還請求の訴えを提起することになり、二重の労力と時間を要して鈍重となり機動的でないという論拠も提示される。しかしながら、婚姻無効の訴えに不当利得返還請求の訴えを併合提起することは適法であり、これによって訴訟は1回で済ますことができ、機動性の問題は回避することができる。婚姻無効の訴え、株主総会決議無効の訴えを形成の訴えから外してしまうことは再考する余地がないではない(株主総会決議無効の訴えは、会社法830条2項により「無効であることの確認」と明文化され、形成の訴え説は苦戦するけれども)。

 

拡大をしすぎた反動で、現在では形成の訴えは縮小されすぎているのかもしれない。とはいえ、どの訴えが形成の訴えであるかというのは、いわば観念的な分類論であって、実益が大きい議論ではない。形成の訴えという概念を持たない英米法も、それで困っていることはない。実益の少ない議論はしないというのも、現在の学界の一つの潮流である。形成の訴えに対する熱意は、もはや感ずることができない。20世紀は、やはり過ぎ去ったのであろう。

 

 

著者等

顧問/コンサルタント

高橋 宏志 Hiroshi Takahashi

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