[コラム] 「民訴法学あれこれ #06 当事者適格」:高橋宏志(顧問)
当事者適格
民訴法学あれこれ #06
2024.8.5
私は、50年、民訴法の研究者として過ごしてきた。その間に、民訴法学もずいぶんと変わったと言うことができ、そのいくつかを綴ってみることとする。今は昔、の物語である。
今回は、当事者適格を採り上げる。ところで、当事者適格を理解するには、当事者概念に遡る必要がある。当事者とは、素朴に考えれば、給付訴訟では権利を持つと主張する者が原告となり、義務を負うと主張された者が被告となるものであろう。当事者は実体権を素に考えることができ、それは実体的当事者概念と呼ばれる。かつては、これで当事者を考えていた。
しかし、19世紀後半のドイツ民訴学界において、異論が提出された。たとえば破産があっても、破産財団所属の財産は破産者のものであるけれども、破産管財人が管理処分権を持つ(破産法78条1項)。その上、破産管財人は、破産者に留保された自由財産(国民年金のように、破産財団に吸収されない破産者固有の財産)であるかどうかをめぐって破産者を相手にして訴訟をすることがある。その場合、権利者・義務者の次元で当事者を考えると、原告は、ある財産が自由財産でなく破産財団に属すると主張する権利者、つまりは破産財団の所有者である破産者であり、被告は自分の自由財産だと主張する破産者だということになる。これでは、原告も破産者、被告も破産者となり、原告・被告が同一人となる。原告・被告が同一人では混同の法理に照らしても、訴訟が成り立たない。これを克服するために、破産管財人は、所有者ではないが訴訟の当事者だとされなければならない(破産法80条)。また、確認の訴えが一般化した結果、確認の訴えの訴訟物は、原告・被告の間の権利関係・法律関係でなく第三者の権利関係・法律関係でもよいとなった。たとえば、第二順位の抵当権者が原告となり、被告の第一順位の抵当権者は実は抵当権者ではないことの確認を求める訴訟を提起したとすると(この訴訟に確認の利益があるかは、ここでは問題にしない)、権利義務関係は抵当権者と抵当権設定者の間に存在するが、原告たる第一順位の抵当権者と被告たる第二順位の抵当権者の間には権利者・義務者の関係はない。権利者・義務者が原告・被告となるという実体的当事者概念では説明が付かないということになる。かくして、権利関係・法律関係の主体が当事者となるという考え方は成り立たなくなる。そういう次第で、学説としては、当事者とは、その名によって訴えまたは訴えられ判決の名宛人となる者をいうとの形式的当事者概念が通説となった。
形式的当事者概念が妥当する事情は以上の通りでありそれなりに理解できるけれども、しかし、形式的当事者概念では内容が空疎となる。誰が当事者となっているかは示すことができるけれども、誰が当事者となるべきかを少しも指示しないからである。そこで、形式的当事者概念におけるこの空隙を埋めるために、当事者適格という概念が発生した。誰と誰の間で訴訟をさせるのが、紛争解決に有効・適切であるかを見るという概念である。訴えの利益が、紛争の客体面を見るのに対して、当事者適格は紛争の主体面を見て、紛争解決に有効・適切な当事者を選別するのである。前述の例では、破産財団の管理処分という観点から見て、破産管財人と破産者との間で訴訟をさせるのが適切であるから、権利主体は破産者であるけれども、破産管財人が当事者適格(上の例では、当事者適格のうちの原告適格)を持ち、従って破産管財人が当事者(原告)であるべきだということになる。第三者との間の破産財団に関する訴訟でも、管理処分権を持つ破産管財人が原告となるべきであり、破産管財人ではなく破産者が原告となって訴えを提起すると、形式的当事者概念により破産者は当事者(原告)となることはできるが、当事者適格(原告適格)なしとして訴え却下となる。当事者適格は、訴え却下を導く訴訟要件の一つとなる。
当事者適格について、四つのことに言及したい。まず、わが国では当事者適格という用語が普通だが、母法国のドイツでは訴訟追行権という用語が普通である。わが国の民訴法学界はドイツからの輸入法学として発展したが、用語が異なることがあるのである。他にも、間接事実、補助事実の用語などでも違いが見られ、興味深いところである。これは、かつてのわが国の学者がドイツ民訴法学を深いところで理解できていなかったからだと見ることもできなくはないけれども、そうではなく、わが国の先達がドイツ民訴法学の大海の中で自分なりに必死にもがき泳ごうとしていたのだと見ることもできるであろう。民訴学者の一人として、いささか複雑な思いにとらわれるところである。
第二に、当事者適格は一般的な概念として設定されている。給付の訴え、確認の訴え、形成の訴えのどこでも適用される。しかし、そうは言っても、給付の訴えでは、権利者だと主張する者が原告となり、義務者だと主張された者が被告となるのが普通であり、当事者適格が活躍する場面は多くはない。確認の訴えでは、当事者適格は確認の利益の中に吸収されると扱われる。形成の訴えでは、そもそも当事者適格が法定されていることも珍しくはない。すなわち、当事者適格は一般的な概念であるけれども、活躍する場面が一般的に広く存在する訳ではない。当事者適格が活躍するのは、破産管財人のように権利者でない者が当事者となる第三者の訴訟担当の場面にほぼ限られると言ってよい。普遍性には限界があるのである。そもそも、形式的当事者概念と当事者適格の登場は、精密な検討の中から生まれてきたものであるけれども、やや精密すぎる思考の賜物という面もないではない。
第三に、限界の具体例であるが、登記を持っていない者に対して物権に基づき抹消登記手続請求が提起されたときは、登記簿上に登記がない者であるから被告適格がない、とする学説がある。当事者適格概念を広く活躍させる学説となる。しかし、登記を持たない者に対して抹消登記手続請求をすることができないのは、実体法の解釈によって、そうなると考えるべきである。確かに、証拠調べを必要とせず、主張自体失当で処理されるが、なされているのは実体法の解釈であり、従って、当事者適格の問題でなく本案の問題だとする方が落ち着きがよい。当事者適格は、本案の事項とは別の訴訟要件の問題である。所有権に基づく有体物の返還請求訴訟では、被告が目的物を占有していない場合、請求棄却だと処理されているが、これと同様に、登記を持たない者に対する抹消登記手続請求も本案の問題であり請求棄却となるとする方がよい。既判力も、一般的には、本案判決の方が強いのであるから、請求棄却判決の方が紛争解決にも、より役に立つであろう。当事者適格はやはり、広く適用されるものではない。
第四に、訴訟行為をする者を「訴訟を追行する者」と表現する例が散見されるけれども、訴訟追行権とは当事者適格のことであるから追行は当事者に関係する。従って、「訴訟を追行する者」とは当事者を指すと考えるべきであり、訴訟行為をする者に使うのは誤用ないし転用である。要するに、訴訟代理人も訴訟行為をするが、代理人であって当事者ではなく、従って、訴訟代理人が「訴訟を追行する」と表現するのは追行概念の混乱を招来する。これが民訴法本来の用語法である。とはいえ、特許法105条の4等では訴訟代理人や補佐人が訴訟を追行するとも読むことのできる表現がされており、判例にも同様の用例があり、民訴法学本来から見れば問題である。もっとも、誤用も、多くなれば、慣用として許容されるのかもしれない。そもそも、民訴法学に、訴訟行為をする主体を指示する用語がない。これが混乱の原因であろう。私も困っているのだが、「訴訟活動をする者」、「訴訟行為をする者」などと漠然とした表現を使っている。