[コラム] 「霞が関からのつぶやき #05 裁判員裁判で死刑求刑に対する無罪判決の言渡しがあった事件(後編)」:安冨潔弁護士(顧問)

裁判員裁判で死刑求刑に対する無罪判決の言渡しがあった事件(後編)

霞が関からのつぶやき #05

2023.11.30

【前編はこちらをご覧ください。】
 
そして、2010年12月10日の第11回公判において、判決が言渡されました。
 
判決の内容は
 
裁判所は、検察官の主張を完全に否定し、無罪判決を言い渡しました。
 
<判決理由の要旨>
被告人を本件犯行により有罪と認定するには、情況証拠から合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に立証されることが必要である。そして、間接事実から事実を推認する過程において、被告人が犯人であるという検察官が設定した仮説とは異なる合理的仮説を排除できるか否かも検討しなければならない。被告人に不利な情況証拠だけでなく、有利な情況証拠や、犯人であれば発見されるべきと考えられるこん跡がないことなど消極的な情況証拠も取り上げるべきである。
 
被害者宅の網戸から被告人とDNA型がほぼ一致する細胞片が採取され、DNA型鑑定の鑑定結果は信用できる。しかし細胞片が破れ面に付着していたと断定することはできず、被告人が網戸に触ったと推認できるにとどまり、被告人が本件犯行時に本件網戸の破れ面から手を差し入れて本件窓のクレセント錠を解錠したことまで推認することはできない。
 
割られた窓ガラスの三角ガラス片に、被告人の右手薬指の指紋が付着していたから、過去に被告人がこの部分に触れた事実は動かせない。ところが、三角ガラス片からの指紋採取の状況を撮影した写真等は存在せず、採証過程を解明する客観的な証拠が一切提出されていない。被告人以外の者のこん跡が存在しなかったとは断定できない。
 
被害者宅の整理ダンスの引き出し前面や引き出し内の封筒に被告人の掌紋の一部が付着しており、被告人には被害者夫婦と一面識もなかったというのであるから、被告人が犯行が行われた時間帯に被害者方に現場に侵入し、整理だんす周辺の荒らされた状態を作り出したと強く疑われる。しかし、本件整理だんすの前にはパンフレット等以外にも紙類が落ちていたが、被告人の指掌紋は採取されなかったし、本件整理だんすの引き出しに引き出されたような跡があるのに被告人の指掌紋は採取されなかった。被告人の本件指掌紋が付着した後に別人が本件犯行時に本件整理だんす周辺の状況を作り出したという偶然の一致も否定できない。本件指掌紋が本件犯行時に付着したものであると認めることには合埋的疑いが残るといわざるを得ない。
 
以上のとおり、被告人が過去に本件網戸及び本件窓のガラス外側に触ったことがあるとの事実が認められるにとどまり、また、本件整理だんす周辺の被告人の指掌紋も、それだけでは犯人性認定の決め手にはならない。犯人と被告人との同一性についての検察官の主張は、その前提を欠くなど、もはや破綻したと評せざるを得ない。
 
本件において、真相解明のための必要な捜査が十分に行われたのかについて疑問が残り、少なくとも、検察官が主張するように「徹底的に現場を調ベ上げた」と評価することはできない。
 
仮に被告人が犯人であるとすれば、犯行の目的が金品目的の強盗以外にあったとは考え難い。しかし、被害者夫婦の殺害態様は、えん恨目的の犯行であることを疑わせるものであり、犯人は、被害者夫婦を殺害した後にこれらの部屋を歩き回った様子がうかがえるところ、犯人が引き出した形跡のある引き出し内には、容易に発見できた金品が残され、引き出し内には被告人の左手掌紋が付着していた封筒があったにもかかわらず、別の封筒の中には現金2万円が残っていた。仮に被告人が犯人であれば、なぜ現場にこのような現金が残っているのか非常に疑問であり、この点を合理的に説明することも困難である。
 
被告人は、「被害者方に行ったことは一度もない」と公判で述べるが、被害者方から指掌紋とDNAが発見され、これらは偽装工作により付着したものではないのであるから、この点に関する被告人の供述が嘘であることは明らかである。しかし、嘘をついた理由が、本件犯行と関係するのかどうかすら解明できていない以上、嘘をついている一事をもって、直ちに被告人を犯人であると認めることはできない。
 
情況証拠によって認定できる間接事実のうち、被告人と犯人とを結び付ける方向に働くものとしては、被告人が、①過去に本件網戸に触ったことがあること、②過去に本件窓ガラスの外側に触ったことがあること、③過去に被害者方に立ち入り、本件整理だんすやパンフレット類に触ったことがあること、④被害者方峪行ったことがない旨事実に反する供述をしていることにとどまるところ、①ないし③の事実は、いずれも単独ではもとより、それらを総合しても被告人が犯人であるとの推認には遠く及ばない。むしろ、本件の情況証拠の中には、被告人の犯人性を否定する事情が多々認められる。そして、このように客観的な事実関係によって犯人性が強く疑われない以上、たとえ被告人が重要な事実について事実に反する虚偽の供述をしているとしても、虚偽の供述をする理由についてはいろいろ考えられるから、そのことをもって犯人性が強く推認されるとは到底いえない。結局、本件においては、情況証拠によって認められる間接事実の中に、被告人が犯人でなければ合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていないというほかない(なお、被告人には、被害者方への住居侵入、窃盗未遂罪が成立する可能性があるが、当該犯行が公訴事実の日時に行われたものであると認めるに足りる根拠がない以上、本件訴因によって、この点についてのみ被告人を有罪とすることもできない。)。
 
以上のとおり、様々な点を検討したが、本件程度の情況証拠をもって被告を犯人と認定することは、刑事裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」という原則に照らして許されないというべきである※。
※鹿児島地裁平成21年(わ)第240号同22年12月10日判決
 

控訴審とその後

2010年12月22日、鹿児島地検は、犯人性を認めなかった地裁判決には「事実誤認」があるとして福岡高等裁判所宮崎支部に控訴しました。
 
一審では、3人の国選弁護人が担当しましたが、控訴裁判所は、原審弁護人1名及び控訴審での宮崎からの弁護人1名しか国選弁護人として認めないとしました。
 
しかし十分な弁護活動をするためには2人の弁護士では到底不可能です。
 
そこで、原審弁護人が無報酬の私選弁護人として活動することとなり、これに賛同した宮崎からの弁護人6名が加わり、さらに、日弁連刑事弁護センターが鹿児島県弁護士会と宮崎県弁護士会の要請を受けて協力することとなり、東京の弁護人4名を加えて、合計13名の弁護人で控訴審に臨むこととなりました。
 
その後、鹿児島、宮崎、東京から新進弁護士3名が加わり、最終的には総勢16名の弁護団態勢となりました。
 
いよいよ控訴審が開始されようとした2012年3月10日、Aさんが自宅で病死されました。
同年3月27日、福岡高等裁判所宮崎支部は公訴棄却決定を下しました。
 
この事件はこうして終わったのです。

 

つぶやき

この事件は、裁判員裁判が始まって全国3例目の死刑が求刑された事件です。しかし、無罪判決が言い渡されたのはこの判決が初めてでした。
 
この事件では、第一審弁護団が、捜査機関の杜撰なところを、とても丁寧に検証して、さまざまな問題点を指摘し、裁判所も判決で踏み込んだ説示がなされています。
犯人性が問題となっている事案では、立証上重要な客観的証拠についての採証活動はことのほか丁寧かつ慎重に行われなければならないのはいうまでもないことですが、この事件では、証拠採取の状況を立証する証拠が欠落していたりするなど鑑識活動が万全であったとはいえない事情がありました。
緻密な捜査と周到な立証のために捜査機関はなにをすべきかを考えなければならないという課題が浮かび上がったのではないでしょうか。
 
判決ではDNA型鑑定それ自体については、比較的簡単な説示でとどまり、DNA型鑑定結果の信用性が肯定されています。しかし、科学的証拠の信用性については、対象となる資料の収集・保管が適切になされていたのか、分析方法には問題はなかったのかが重要です。DNA型鑑定資料の採取状況等の全貌に関する証拠の提出が公判になってから裁判所から求められて取り調べられていますが、公判前整理手続で明らかにしておくことができていればよかったと思われてなりません。
 
ところで、少し専門的なことになってしまいますが、第一審の第1回公判前整理手続が開かれる直近に、最高裁判所が情況証拠による事実認定について「情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」と説示した判決を言い渡しました。※
 
※    最高裁平成19年(あ)第80号同22年4月27日第三小法廷判決・刑集64巻3号233頁
この事件は、最高裁が、殺人、現住建造物等放火の公訴事実について間接事実を総合して被告人を有罪とした第1審判決及びその事実認定を是認した控訴審判決は、認定された間接事実中に被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとは認められないなどとして、間接事実に関する審理不尽の違法、事実誤認の疑いがあるとして破棄した判決です。破棄差し戻し後の大阪地裁は、検察官の新たな立証を許しながらも、状況証拠から認められる間接事実の中に被告人が犯人でないとすれば合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するというには疑問が残るとし、無罪を言い渡しました(大阪地判平成22年(わ)第2160号)同24年3月15日判決・判例時報2360号122頁。https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/304/082304_hanrei.pdf
 
第一審で裁判官がこの最高裁判決に強い関心を抱いていたことは、判決文において「基本的視点」として「間接事実から事実を推認する過程において、被告人が犯人であるという検察官が設定した仮説とは異なる合理的仮説を排除できるか否かも検討しなければならない。」と説示されていることから伺えます。
 
しかし、被告人の主張によっては、証拠に照らした合理的なケースセオリーを被告人側が提示することが難しいこともあるように思われます。本件でも、Aさんは一貫して「現場に行ったことがない」と述べていました。この主張を前提にして証拠にてらしたケースセオリーを弁護人はどのように説明できるかは容易ではありません。
検察官に挙証責任があるという刑事訴訟の基本に立ち返れば、検察官の立証の不十分な点を指摘しておくことで足りると考えることができるのではないでしょうか。
 
(了)

著者等

顧問/コンサルタント

安冨 潔 Kiyoshi Yasutomi

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