[コラム] 「霞が関からのつぶやき #03 救急救命センターでの歯科医師の参加型研修 ~北の国からのつぶやき~」:安冨潔弁護士(顧問)

救急救命センターでの歯科医師の参加型研修 ~北の国からのつぶやき~

霞が関からのつぶやき #03

2022.9.27

事件の概要

救急救命治療の基幹病院での出来事です。
 
歯科口腔外科を専門とする歯科医師3名が、その病院の救急救命センターで救急救命を専門とする指導医の下で研修医として参加型の救急救命研修を受けていました。
 
研修生の歯科医師は、研修の一環として、指導医のもとで、患者に対し、気管挿管、静脈ルートの確保、腹部触診等を行ったことがありました。
 
しかし、気管挿管、静脈ルートの確保、腹部触診等を行うことは、研修であるとしても医師の資格を有しない歯科医師が行うことはできないという当時の厚生労働省の回答[1]により、保健所から告発があり、警察は救急救命センターの部長であったA医師及び研修を受けていた歯科医師3名に対する捜査を開始しました。

 


[1] 厚生労働省は、この事件に関して、病院を管轄する保健福祉局長からの回答として、「歯科医師による行為が単純な補助的行為(診療の補助に至らない程度のものに限る。)とみなし得る程度を越えており、かつ、当該行為が、客観的に歯科に属さない疾病に関わる医行為に及んでいるのであれば、医師の指示の有無を問わず、医師法第17条に違反する。」(平成13年9月10日医政医発第87号)という見解を示しました。

 

 

捜査の経過と結果

A医師らは、検察庁の取り調べにおいて、研修の必要性、正当性を主張し、とりわけ研修歯科医師がいずれも歯科口腔外科、医科麻酔科で研修を積み、200例以上の全身麻酔、100例以上の気管挿管を行ってきた豊富な経験があり、また、救急救命研修を行うに当たってはチームに配属して指導医の指導監督の下に研修を行っており、患者に対する危険性は全くなかったことを主張しました。
 
捜査の結果、検察官は研修歯科医師であるB、C及びDについては、いずれも起訴猶予としました。
しかし、センターの部長であったA医師に対しては、検察官は罰金2万円の略式命令とする旨を告げました。
 
これに対して、A医師は、略式命令では、歯科医師の参加型研修の必要性・正当性を主張する機会がないことから、正式裁判で争うことを決意しました。
 
A医師は、
国民が安全な歯科医療を受けるためには、歯科医師、とりわけ.歯科口腔外科医は、患者の重症度・緊急度を適切に評価し、緊急事態にきちんと対応できる判断力と応急処置能力を身につけることが不可欠であり、そのためには救急の現場で指導医の指導監督の下で参加型の研修を受けることが必要である
と主張しました。
 
このようにして、A医師は、医師法第17条(医師法でない者による医業の禁止)違反[2]の共謀共同正犯として起訴されました。

 


[2] 医師法第17条は「医師でなければ、医業をなしてはならない。」として第31条第一項第1号で、「第17条の規定に違反した者」に該当する者に、「3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と定めています。

 

 

第1審の経過

起訴状に記載された公訴事実は、
市立S病院に勤務する同病院救命救急センター部長であるA医師が、歯科医師であるB、C及びDが、いずれも医師の免許を取得していないことを知りながら、平成10年8月から平成11年3月までの間、順次、医師の資格を持つ研修医と同様の研修を行わせることとして同センターに受け入れ、当直医又は担当医として配置し、B、C及びDらと共謀の上、Bが救急自動車内等で気管内挿管等を行い、Cが病院内で右大腿静脈からのカテーテル抜去等行い、Dが腹部の触診等を行い、もって医師でないのに医業をなした
というものです。
 
第1審で検察官は、本件の研修がS病院の救急救命センターのマンパワー不足を補うために研修の名を借りて歯科医師を受け入れて行われたものであること、研修とはいえ医師資格をもたない歯科医師レジデントが各行為を行っていること、A医師とB、C及びD歯科医師との間に共謀が認められることから、本件の各行為は単純な補助行為と見なし得る程度を超え、かつ、研修時の行為は医師が常に自ら行わなければならないほど高度に危険な行為(絶対的医行為)に当たるから、医師以外の者が行うことは一切許されないと主張しました。
 
これに対し、A医師と弁護団は、検察官の主張するマンパワー論と絶対的医行為論を正面から争うとともに、本件研修は歯科治療中に急変した患者に対して適切な救命措置をとることができるように、救命救急についての知識・技能を習得するために行われたものであり、かつ、患者の生命・身体に危険の生じることのないよう、経験豊富な歯科口腔外科医が指導医師の指導監督の下に行ったものであるから、正当行為として刑法上の違法性が阻却される旨の主張をし、A医師は無罪であると争いました。
 
約1年にわたる15回の公判審理を経て、裁判所は、検察官が主張したマンパワー論を否定し、さらに歯科医師が歯科の患者の全身管理に関する能力を修得する必要性が高いことを認めました。
 
しかし、判決は、
本件歯科医師らのような歯科口腔外科に属する歯科医師にとって、そのような技術の修得が求められるとしても、その技術を修得するために、突発的な事態に緊急に対応することが強く要求される救急医療の現場で、医師の資格を持つ者と全く同様の研修を行わせるという方法をとることは、そこで行われる個々の具体的行為の実質的危険性の有無及び程度にかかわらず、医師と歯科医師の資格を峻別する法体系の下では、許されない。本件各行為は、このような方法で行われた研修の一環として行われたものであるから、社会的に見て許容される範囲を逸脱しており、正当行為と評価することはできない。
と説示して、A医師に罰金6万円の有罪判決を言い渡しました(札幌地方裁判所平成14年(わ)第95号(医師法違反被告事件)・平成15年3月28日判決)[3]

 


[3] 裁判所は、「被告人は、本件歯科医師らが行った本件各行為について個別に認識していたとは認められないが、センターの責任者として、研修内容について(中略)指示をし、その指示に従って研修が行われ、その結果本件歯科医師らが本件各行為を行ったのであるから、本件歯科医師らが研修医として本件各行為を行うについて、欠くことのできない決定的な役割を果たしたものと認められる。」として共謀共同正犯が成立するという。

 

 

控訴審の経過

A医師は、第1審判決を不服として即日控訴しました。
 
弁護団は、控訴趣意書において、歯科医師の救命救急研修の必要性を訴えるとともに、医師法第17条の立法趣旨に立ち返り医師と歯科医師との資格が区別されていることを理由として有罪とする原審の判断が誤っていることを主張しました。
 
第一審判決から約1年近くが過ぎて控訴審の第1回公判が開かれました。
その間、歯科口腔外科医療の関係者だけでなく救急救命医科の関係者からもA医師を支援する全国的な動きが盛り上がりました。
 
厚生労働省も、それまでの絶対的医行為論を改め、「歯科医師の救命救急研修ガイドライン」(平成15年9月19日医政医発第0919001号/医政歯発第0919001号)[4]を策定して、一定の要件の下で歯科医師が救命救急センターで医行為を行うという参加型の研修を許容するに至りました。
 
このガイドラインの策定は、医師以外の者が医行為を行うことは一切許されないとする絶対的医行為論[5]がもはや時代の要請に合わなくなり、厚生労働省自らが絶対的医行為論に軌道修正を図ったことを意味しているといえます。
 
こうして弁護団は、控訴審で、あらためて歯科医師の救命救急研修が社会の強い要請であり、全身管理や救急対応能力を身につけた歯科医師を養成することが医療機関の重要な責務であることを訴え、本件研修が指導医の指導監督の下で安全に行われたものであり、あらためて正当行為として刑法上の違法性が阻却されると主張するとともに、研修医の行為は救命救急研修ガイドラインの要件をも充足しており、同ガイドラインに照らしても違法性はないと訴えました。
 
控訴審で第1回公判が開かれてから約4年が過ぎ、高等裁判所は、
① 医師法17条について
「医業」とは「医行為を業とすること」であり,「医行為」とは「医師が行うのでなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある行為」,「業とする」とは「反覆継続の意思で医行為を行うこと」と解すべきところ、本件各行為は,(中略)いずれも医師が行うのでなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある行為といえる。そして,歯科医師の研修が,医師の行う医行為の純然たる見学にとどまるときは,歯科医師が医行為をしたとは認められないから医師法17条の構成要件該当性を欠くといえるが,歯科医師が自ら患者に対する医療行為に関与する場合,それが医行為と判断される以上,関与の程度を問わず,歯科医師自身が医師法17条の医行為を行ったとみるべきである。
② 違法性阻却について
研修は,(一定)の条件を満たせば,歯科医師が医科救命救急部門において救命救急研修を受けることも許容されるというべきである。
とはいえ,歯科医師に無制限の研修が許されるわけではなく,その研修が社会的相当行為として違法性が阻却されるためには,研修の必要性が認められるほか,研修の目的が正当であり,かつ,研修の内容や方法がその目的を達成する手段として相当なものでなければならない。(中略)この(弁護人の)所論は、歯科口腔外科医は無条件に医科での研修が許容されるというに等しく,医師と歯科医師の資格を峻別する法体系からして到底容認できない。
③ 歯科医師の救命救急研修ガイドラインからの検討について
医師法と歯科医師法によって医師と歯科医師の資格を厳格に峻別している現行の法体系がいわば行政指導ともいうべきガイドラインによって変容されることはあり得ず,ガイドラインが歯科医師に医行為を行う資格を与えたものでない(中略)本件各行為は,ガイドラインに照らしてみても,その要件を満たしておらず,結局,社会的相当行為ということはできない(略)
などと説示して、A医師の控訴を棄却しました(札幌高等裁判所平成15年(う)第179号(医師法違反被告事件)・平成20年2月6日判決)[6]
 
控訴審の判断は、策定された救命救急研修ガイドラインの運用を限定的なものとして、ガイドラインの策定によってようやく参加型研修の必要性が認められ、歯科医師の救命救急研修のあり方が改善される契機を反故にするものといっても過言ではありません。

​​​​​​


[4] https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta6779&dataType=1&pageNo=1

[5] 医行為は、絶対的医行為と相対的医行為とに区分されます。前者は、医師又は歯科医師が常に自ら行わなければならないほど高度に危険な行為をいい、後者は、医師又は歯科医師の指示、指導監督の下に看護師等が行う行為をいいます。
 厚生労働省医制局長の医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知)では、「「医業」とは、当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害 を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為(医行為)を、反復継続する意思をもって行うことであると解している。」としています。
 なお、最高裁第2小法廷平成30年(あ)第1790号令和2年9月16日決定・刑集第74巻6号581頁では、「医行為とは,医療及び保健指導に属する行為のうち,医師が行うのでなければ保健衛生上危害を生ずるおそれのある行為をいう」としています。

[6] https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/093/036093_hanrei.pdf

 

 

上告審の経過

A医師は、直ちに最高裁判所に上告し、上告趣意で、医師法第17条に定める「医業」の概念はこの規定からは一般人の理解において、具体的な場合に当該行為がその適用を受けるものかの判断を可能とする明確な基準は読みとれず、憲法第31条に違反する、さらに本件研修が実質的に正当であることを主張しました。
 
これに対して、最高裁判所第二小法廷は、
医師法17条にいう「医業」の概念が不明確であるということはできない
として上告棄却の決定を下しました(最高裁判所第2小法廷平成20年(あ)第643号・平成21年7月23日決定)。

 

 

この裁判について

第1審裁判所が歯科医師の救命救急研修の必要性を認めながらも、救命救急研修ガイドラインが策定される以前に市立S病院で行われた本件研修を違法としたことは、歯科及び医科の研修現場を萎縮させ、我が国の歯科医療の発展を妨げ、国民の安全かつ高度な歯科医療を受ける権利を侵害することになりかねない残念な判断であると言うほかありません。
 
また、救命救急研修ガイドラインが策定された後の高等裁判所の判決も、資格を峻別する法体系による絶対的医行為論に基づいて、行政が認めた参加型の研修を実質的に否定する判断を下したことは、歯科医療ことに歯科口腔外科の治療の現状からかけはなれた結論といえるでしょう。
 
そして、最高裁判所も、歯科医師の救命救急研修の重要性という本質的な課題に正面から向き合うことなく形式的な判断に留まったのは、歯科の分野にとどまらず医療の進展を阻止するものではないでしょうか。

 

 

A医師の行政処分

最高裁判決が下された翌年、A医師について、医道審議会において行政処分が審議されることになりました。
 
審議の結果、A医師にはなんらの行政処分も行わないということとなりました。
A医師が8年間にわたって、国民の健康増進のために、歯科医師の参加型研修の必要を訴え続けたことが、医療の分野では正当に評価されたものと思われます。

 

 

弁護団のつぶやき

事件を振りかえって、「歯科及び医科の医療関係者が今後もガイドラインを形骸化させることなく、積極的かつ柔軟に活用し、国民に安全かつ高度な歯科医療を提供するために、さらに充実した研修を拡大し続けていただくことが必要です。また、ガイドラインではなく、医科における歯科医師の研修を正面から認める法律を制定する立法運動も是非進めていただく必要があります。そして最終的には医師による医行為と、歯科医師による歯科医行為を峻別する日本の法体系を見直すことが必要です。歯科の部位は、眼科、耳鼻科などと同様、人間の身体の一部であり、全身状態に直結している部位です。したがって、歯科の部位だけ切り離して、歯科治療の現場における緊急事態に対応する能力を研錬する機会を制約しても良いとする考え方は、あまりにも医療の現場を無視した不合理な考え方であると思います。」とつぶやいていたことが思い出されます。

 

 

著者等

顧問/コンサルタント

安冨 潔 Kiyoshi Yasutomi

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