[コラム] 「霞が関からのつぶやき #05 裁判員裁判で死刑求刑に対する無罪判決の言渡しがあった事件(前編)」:安冨潔弁護士(顧問)

裁判員裁判で死刑求刑に対する無罪判決の言渡しがあった事件(前編)

霞が関からのつぶやき #05

2023.11.30

死刑求刑に対する無罪判決の言渡し

「被告人は無罪。」
 
2010年12月10日、鹿児島地方裁判所刑事部は、住居侵入・強盗殺人で起訴されたAさんに無罪判決を言い渡しました。
 

事件は起こった

2009年6月19日、午前6時15分頃、JR鹿児島中央駅から南西に約10キロ離れた周囲は農地が広がるa町にあるV方から「両親が死んでいる」と近くに住む次男から110番通報があり、鹿児島南署員が駆け付けたところ、その家に住む高齢のV1さんと妻V2さん夫妻が頭部から血を流して死亡していました。
 
県警は、捜査本部を鹿児島南署に設置して捜査を始めました。
 
発見された日の前日である6月18日夕刻、発見者である三男が被害者方を訪れて談笑して別れた後、発見されるまでの間に、何者かにより殺害されたと考えられました。
 
6月19日、警察は現場から多数の指紋・掌紋のほかDNA型鑑定資料を収集しました。
 
6月21日、司法解剖の結果、死因はともに頭や顔を強打されたことによる脳障害と判明しました。現場となった自宅室内で見つかったスコップに、2人の血液が付着しており、頭部等の傷の形状とも矛盾しないことから、捜査本部はスコップを凶器と断定しました。
 
6月28日になり、現場から採取された指紋の中にAさんのものと一致するものがありました。
 
6月29日、Aさんは殺人、住居侵入容疑で逮捕されました。
 
9月7日、Aさんは取調べで一貫して被疑事実を否認していましたが、鹿児島地方検察庁は、Aさんを強盗殺人、住居侵入罪で鹿児島地方裁判所に起訴しました。
 

<公訴事実の要旨>

「被告人は、金品強取の目的で、平成21年6月18日午後4時30分ころから同月19日午前6時ころまでの間、鹿児島市a町b番地V1方(以下「被害者方」という。)に北東側6畳居間の窓ガラスの施錠を外して侵入し、殺意をもって、金属製スコップ(長さ約94.3センチメートル、重さ約1.6キログラム。以下「本件スコップ」という。)で、V1(当時91歳。)及びV2(当時87歳。)に対し、それぞれその頭部や顔面等を多数回殴打し、その場で、V1を頭部・顔面打撲に基づく脳障害(頭蓋骨骨折、くも膜下出血、脳挫傷)により、V2を頭部・顔面打撲に基づく脳障害(くも膜下出血、脳挫傷)により、それぞれ死亡させて殺害した。」

 

 

裁判は進む

(1)公判前整理手続
 
起訴から約10ヶ月たった2010年5月10日、鹿児島地方裁判所で第1回公判前整理手続が行われました。
 
公判前整理手続は、2010年10月21日の第12回公判前整理手続まで半年に亘って開かれました。
 
そして、第12回公判前整理手続では、本件の争点は「被告人の犯人性」であるとされました。
 
また、第1回公判期日は2010年11月2日として、平日はほぼ連日開廷するというスケジュールが組まれ、結審したのちの評議を踏まえて判決の言渡しは、2010年12月10日とするという審理予定が裁判所から示されました。
 
2009年5月21日に始まった裁判員制度ですが、最長40日間という長期にわたる裁判員裁判は、これまでにはありませんでした。
 
(2)公判期日
 
2010年11月1日、裁判員選任手続きが行われました。
 
裁判所は295人に呼び出し状を送りましたが、多くの候補者に辞退が認められ、候補者のうち34人が出頭しました。そして、裁判員6人と補充裁判員4人が選任されました。
 
翌11月2日に第1回公判が開かれました。
 
この日は、冒頭手続に続いて、検察官及び弁護人の冒頭陳述が行われました。
 
罪状認否で、Aさんは、「わたしは犯行現場といわれるところに、一度たりとも行ったことはありません。ましてや住居侵入、強盗殺人ということは絶対にやっていません」と述べ、起訴状の内容を否認して無罪を主張しました。弁護人もAさんの無罪を主張しました。
 
罪状認否に続いて証拠調べに入りました。
 
冒頭陳述で、検察官は、法廷の大きなモニターに、被害者宅の間取り図を示し、犯人の侵入経路などを表示しました。
 
検察官は、被害者宅の窓ガラスが凶器となるスコップで割られ、窓が開けられた状況などについてイラストを用いて説明しました。
 
そして、冒頭陳述要旨と題する書面を配布して、「①金品を奪う意思で相手に暴行脅迫を加えた者が、②強盗の機会に殺意をもって相手を殺害した場合」にも強盗殺人罪が成立するという前提にたって、「金品を奪う意思で、被告人が被害者宅に金属製スコップで窓ガラスを割り侵入し、被害者V2と遭遇した後、抵抗できないV2の前で、6畳和室の整理ダンスの引出しを片っ端から引き出すなどして金品を探した後、8畳和室で侵入時に使ったスコップを、何度も何度も振りかざしては、勢いよく、力一杯振り下ろすなどしてV1とV2の頭や顔を狙って繰り返し殴り付け二人を殺害した」と話しました。
 
その上で、検察官は、侵入口とされる割れた居間の掃き出し窓ガラスの破片や物色された室内のタンスなどから見つかった29個の指紋や掌紋の一部と、網戸に付着した細胞片から見つかったDNA型がAさんのものと一致するものが見つかったと説明しました。
 
これに対して、弁護人は、「Aさんは被害者宅を知らない上、押し込み強盗、殺人の犯人である直接の証拠がなく、犯人はAさんではなく現場をよく知る、顔見知りの犯行である」と述べました。
 
そして、現場に残された被告人の指紋、掌紋は何者かが転写して偽造、ねつ造したもので、DNA型鑑定の結果は鑑定経過自体が、現在の科学技術水準を満たすものとなっておらず試料は全て消費されて再鑑定ができないので証拠となりえないと検察官の主張に反論しました。
 
11月4に第2回公判が開かれ、事件の第一発見者である被害者夫婦の三男や県警の鑑識課長ら4人の証人尋問が行われました。証人尋問では、鑑識課長は鑑識活動の指示内容を証言し、鑑識作業4日目の6月27日に封筒から検出した掌紋が、登録されたAさんの掌紋と一致したと述べ、このことから29日の逮捕に至ったと説明しました。 
 
11月5日午後には、期日外の証拠調べとして現場検証が実施され、裁判官、裁判員・補充裁判員、検察官、弁護人が参加して、被害者宅を現場検証しました。この検証には、Aさんは参加しませんでした。
裁判員裁判でこのような期日外の現場検証は初めてのことでした。
 
11月8日の第3回公判では、遺体を司法解剖した法医学者ほか県警科学捜査研究所の技術職員らの証人尋問が行われました。
 
法医解剖した医師は男性(V1さん)に82ヶ所、女性(V2さん)に63ヶ所の外傷があり、傷から凶器は「長さに対して幅が狭い帯状の鈍器」と説明し、検察官が凶器と断定したスコップについて、「(被害者の)損傷と矛盾しない」と証言しました。
 
また、傷の程度について質問した弁護人に対して、証人は「V1さんの傷の方が多く、程度もひどいとは言える」と述べました。
 
さらにスコップから検出されたDNA型の鑑定をした技術職員は鑑定方法を説明した上で、「血や細胞片を採取する際も、他人のものと混ざったり、汚染したりすることがないよう細心の注意を払い、適切に行った」と証言しました。
 
そして、弁護人の質問に対し、「DNA型が誰のものか明確にできたのはV1さんとV2さんのものだけ」と述べました。
 
11月9日の第4回公判では、県警の鑑識課員ら4人の証人尋問が行われ、居間の掃き出し窓ガラスが割られたことやレールから採取した土砂と室内にあったスコップから採取した土砂とが同一の土砂に由来することを証言し、掃き出し窓ガラスが割れていたのは「(凶器に使われた)スコップでできたと考えられる」と述べました。
 
11月10日の第5回公判では、県警科学捜査研究所の技術職員2人と指紋やDNA資料の採取をした警察官2名の証人尋問が行われました。
 
技術職員は、DNA型の出現頻度について、担当した技官は「約1京5600兆人に1人の確率」とし「被告人のものであることはほぼ間違いない」と証言しました。
 
11月11日の第6回公判では、指紋や掌紋を採取して鑑定した県警の鑑識課員ら2人の証人尋問が行われました。
 
指紋と掌紋を鑑定した県警の主任鑑定官は、検察官の尋問に対し、鑑定方法や鑑定した当時の状況を説明した上で「(現場から採取された)446点を鑑定した結果、11点の指紋・掌紋が被告人のものと一致した」などと証言し、同じ指紋を持つのは「1千億人に1人しかいない」と述べました。さらに、現場から採取された指紋と掌紋とAさんから採取した指紋と掌紋を拡大して、法廷内のモニターに並べて映し出し、どの特徴が一致しているのかを一つずつ説明をしました。
 
11月12日の第7回公判では、室内から採取したDNA資料の採取状況について県警の鑑識課員4名のほかにAさんと同居していた実姉の証人尋問が行われました。
 
この尋問では、証人と傍聴人との間に遮蔽措置※がとられました。
 
証人尋問でAさんと同居していた姉は、「6月15日の午前10時ごろから同19日夕まで弟を見ていない。19日午前4時から5時ごろ、トイレの鍵の音がカチャカチャしたので帰ってきていると思った」と証言しました。また、Aさんの生活ぶりについて「洗濯をしてくれたり掃除をしてくれたり。台所仕事もよく手伝ってくれ助かっていた。隣の家の修理をした時は、きれいにしていて驚いた」と述べました。
※※遮蔽措置 刑事訴訟法第157条の5
 
11月15日の第8回公判では、県警の鑑識課員に対する足跡についての尋問のほか、Aさんのいとこや付近に住む者ら3人の証人尋問が行われました。
 
いとこの女性は、昨年1月、Aさんと被害者宅が見渡せる谷山神社に参拝したことや、そこから車で10分ほどの距離にあるいとこの家に数回Aさんが訪れたことを証言しました。この証人尋問は、いわゆるビデオリンク方式※で行われ、さらに傍聴席との間には遮蔽措置がとられました。
 
なお、この公判期日では、本件現場付近でAさんとは異なる容姿の不審人物が目撃されていたことを立証趣旨とする2人の証人尋問が予定されていましたが、そのうち1人について弁護人から「すでに行った証人尋問で十分」として証人尋問を撤回する申出がなされ、裁判所も証人尋問を取り消しました。
 
これで証人尋問はすべて終了しました。
※ビデオリンク方式 刑事訴訟法第157条の6
 
11月16日の第9回公判は、被告人質問でした。
 
Aさんは、検察官が犯行時間と特定した6月18日午後7から9時の間の行動について、弁護人からの質問に、当日は「午前5時に起き、家を出て市内を散歩し、午後6時ごろ散歩を終え、車の中で仮眠した。午後10時ごろ家に戻った」と地図に経路を描いて説明しました。
 
そして、検察官からの「現場に行ったことは。」との質問に「ありません」と明確に答えました。
 
11月17日の第10回公判は、被害者遺族の意見陳述、論告求が行われ、弁護人から最終弁論、そしてAさんの最終陳述でした。
 
遺族の意見陳述では、被害者両名の長女らが陳述し、極刑に処すこと求めると述べました。
 
論告で、検察官は「多数の証言、様々な証拠から被告が犯人であったと十分立証できる」と主張し、Aさんが犯人であることを示す事実として、「(1)動機がある(2)被害者宅近くに行ったことがある(3)アリバイがない(4)現場に被告以外の痕跡がない」をあげました。その上で「尊い2人の命を犠牲に金品を奪おうとした動機は厳しい非難に値する」として「被告人が犯人であるのは明らか。考慮する事情はない」と死刑を求刑しました。 
 
最終弁論で、弁護人は、「(1)物色方法に疑問(2)現場から現金や貴重品が奪われてない(3)目撃情報がない(4)自宅から犯行の痕跡が見つかっていない」など点を挙げ、状況証拠からは「Aさん以外の誰かが犯行を敢行した。指紋や掌紋を転写し、DNAを付着させた偽装工作の可能性は否定できない」と反論しました。
 
Aさんは、最終陳述において、「痛ましい被害に遭われましたご夫婦には1人の人間といたしまして心からご冥福をお祈りします」と述べ、その上で、「私は濡れ衣を着せられて問答無用に逮捕され奈落の底に突き落とされました。しかし、真実は必ず明らかにされると思います。」として、裁判所において無実を証明していただきたいなどと陳述しました。
 
翌日から裁判官・裁判員評議が始まりました。
 
【後編はこちらをご覧ください。】
 

著者等

顧問/コンサルタント

安冨 潔 Kiyoshi Yasutomi

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