[コラム] 「霞が関からのつぶやき #01 執行猶予のついた殺人既遂事件」:安冨潔弁護士(顧問)

執行猶予のついた殺人既遂事件

霞が関からのつぶやき #01

2021.10.13

ある殺人既遂事件の判決

裁判長は

「被告人を懲役3年に処する。この裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予する。」

と刑を言い渡しました。

 

※ 殺人罪は,「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」とされています(刑法199条)。また,執行猶予は,「3年以下の懲役の言渡しを受けたときは,情状により,1年以上5年以下の期間,その刑の全部の執行を猶予することができる」と定められています(刑法25条)。そこで,裁判長の宣告した刑は,殺人罪では(執行猶予期間はさておき)もっとも軽い罪ということができます。

 

どんな事件

この事件は,60歳代(当時)の母親である被告人が,高度救命救急センターの病室において,入院中であった長男V(当時40代)に対し,あらかじめ用意していた出刃包丁でVの左胸部を4回突き刺して死亡させたというものです。

 

事件はこうして起こった

Vは,本件犯行の10日前に勤務先で自殺未遂を図りました。

意識不明の状態で病院に運ばれ救命措置がとられたものの,意識が回復する可能性は非常に低いと診断されました。

そして,本件犯行の2日前のことです。

Vの母である被告人,Vの父であり被告人の夫であるA,Vの妻であるBら家族は,Vが加入していた健康保険組合から衝撃的なことを聞きました。

自殺未遂は健康保険法上の絶対的給付制限事由にあたるため,Vの治療には健康保険を適用できないというのです。

そのためVが病院に運ばれてから10日間で350万円,さらに退院までに相当な額が,さらにその後も1日あたり生命維持装置に10万円程度の高額な医療費が全額自己負担となります。

このような高額の医療費負担はとてもできません。

本件犯行の前日です。

Bは「妻である私が呼吸器を外します」と医師に告げ,その場で泣き崩れました。

高額の医療費をずっと支払続けるということになれば,Vの家族が生活できなくなることは明らかです。

本件犯行の日です。

Vがなぜ自殺を図ったのはわからないままでした。

この間,被告人である母親は最愛の息子であるVの身に起こったあまりに予想外の突然の出来事に強い衝撃を受けました。

そしてBらを苦しめることになることはVの意思に反することだと思い込んだ被告人は,意を決して,最愛の息子の命を奪ったのです。

 

裁判が始まった

検察官の主張は,母親である被告人が,高額な医療費に悩んだうえでの主に金銭面を動機とする犯行というものでした。

冒頭陳述で,検察官はVの自殺未遂からわずか10日後にVを殺害する方法で医療費問題の決着を図ったのは短絡的で,被告人のとった行動は軽率であったと述べました。

 これに対して,弁護人は,本件犯行動機は高額医療費という金銭面の問題だけではなく,むしろVやBに対して,「生みの母としての責任」を感じていたことが大きいこと,被告人ら家族は10日あまりの間に突然かつ立て続けに起こった悲劇の連続に精神的に極限まで追い詰められていたなかで,なしうる限りの努力は尽くしたと裁判員に語りかけました。そして,これを短絡的と非難するのは酷であると主張しました。

 

※ 刑事事件の公判は,①冒頭手続(人定質問→起訴状朗読→権利等告知→罪状認否),②証拠調べ(冒頭陳述→証拠調べの請求・実施),③弁論手続(論告・求刑→弁論→被告人の最終陳述)という流れで行われます。

 

証拠の取調べでは

証拠の取調べでは,まず客観的証拠や弁護人が証拠として取り調べることに同意した供述調書の取調べが行われました。

証人の尋問では, Vの実父であり被告人の夫A及びVの妻であるBが証人として証言しました。

弁護人は,証人がそれぞれ極限まで追い詰められていた当時の状況下における主観的な思いやそれを現す言動・エピソードをできるだけ具体的・臨場感をもって供述してもらうことを心がけました。証人もそのときのつらさを思い出し涙ながらに被告人のことを想い語ったのです。

そして,被告人質問が行われました。

弁護人は,当時のつらく思い詰めた心境をできるだけ迫真性をもって語ってもらうことに主眼をおきました。そのため被告人がVの写真を携行して犯行に及んだことや被告人の当時の日記の記載を法廷に顕出することとしました。

また,被告人の悔悟の情を示すための質問についても,単に「反省していますか,後悔していますか」というようなありがちな質問はしませんでした。

「もし事件当時に1つだけ望みがかなうとしたら,あなたがもっとも望むものは何ですか」と質問したのです。

それに対し,被告人から,「奇跡です。息子の誕生日を家族みんなで祝った日(Vが自殺未遂を図った11日前)まで時計の針を戻したいです」と答えました。

 

検察官の論告は

検察官の論告です。

被告人の犯行は,(1)犯行動機が短絡的であること,(2)病院関係者等にショックを与えた犯行態様であること,(3)重大な結果をもたらしたと主張しました。

求刑は,懲役5年でした。

 

※ 求刑は殺人罪の法定刑の最下限です。

 

弁護人の弁論は

弁護人の最終弁論です。

動機は高額医療費という金銭面の問題だけではなく,Bの「妻である私が呼吸器を外します」という悲壮な発言が被告人に犯行を決意させたこと,自らが捨て石となり処罰を受けることで皆が救われる,それはVの願いでもあると被告人が思い詰めたこと等を述べました。

そして,執行猶予に付することを求めました。

 

判決は

裁判所は,犯罪事実を認めました。

そのうえで量刑にあたって,特に考慮した事情として,「異常ともいえる心理状態下で本件犯行に至った被告人については,同情の余地が多々あるということができる」「約9か月間に及ぶ未決勾留の中で年配の被告人は相当に身心を弱らせていること等の事情もある。」などと説示しました。

 

※ この事件は,病院の集中治療室での出来事で,異変を知った看護師が駆けつけ,医師による救命措置も間に合いませんでしたが,被告人が犯行後直ちに,同室近くに居た看護師に対し,「私がやりました。警察を呼んでください。」と申し出て警察に通報させことから,裁判所は自首が成立するとしました。

自首は,罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる(第42条)としています。

 

つぶやき

最後になりますが,この事件は,裁判員裁判制度が施行されて2か月近くを経過した時期に起こった事件です。

弁護人は,被告人は公訴事実を認めており情状立証が主たる裁判となることから,早期に公判前整理手続を開くように裁判所に求めました。しかし,裁判所が第1回公判前整理手続期日を開いたのは,起訴後約7か月後を経過していました。その間,被告人には勾留が継続されたのです。

そして,公判前整理手続が終了した段階で,保釈請求をしましたが,却下されました。ただちにこの決定を不服として準抗告を申し立てましたが,裁判所は,事案の重大性に鑑み,健康面等に特段の配慮の必要性がなければ保釈を認めないという態度でした。

被告人が公訴事実を認めており,家族も身柄引受けに積極的であっただけに残念です。

 

※ LEX/DB  25463431 (了)

 

 

著者等

顧問/コンサルタント

安冨 潔 Kiyoshi Yasutomi

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