[コラム] 「知っておきたい「ビジネスと人権」#26 「見えない労働」とビジネスと人権」:入江克典弁護士(パートナー)

知っておきたいビジネスと人権

「見えない労働」とビジネスと人権

知っておきたい「ビジネスと人権」 #26
2026.3.23

 

「見えない労働(invisible labor)」とは、経済学や社会学において、給与の支払われない家事、介護、育児や、他人の家で働く使用人など、法的保護が届かない、届きにくい労働を指します。このような労働形態は、女性、移民、児童、低所得者層などが担うことが多く、最低賃金、残業代、社会保障など労働者としての権利が保障されないリスク、ハラスメントや犯罪のリスク、将来にわたり適正な就労の機会を奪うリスクが高いものとして、人権の観点から非常に重大な問題を含んでいることはいうまでもありません。


以上に加えて、「ビジネスと人権」の観点からは、企業の製品やサービスの提供に不可欠でありながら、直接の雇用関係や管理の枠外に置かれ、物理的、構造的に把握されにくい労働も「見えない労働」と整理できます。例えば、サプライチェーンの下流に位置する下請けでの長時間労働、業務委託やフリーランスによる不安定な就労、外国人労働者が担う低賃金労働などが典型です。


国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」は、企業の人権責任を直接雇用している労働者に対するものに限定していません。企業は、自社の事業活動や取引関係を通じて、人権への負の影響を引き起こしたり、助長したり、あるいは密接に関係していたりする場合には、適切な対応を取ることが求められます。「見えなかった」(把握できなかった)という事情は、もはや十分な説明にならなくなっているといえます。人権リスクを把握する仕組みを持たず、可視化を怠っていたこと自体が、人権デューデリジェンス(DD)の不十分さとして評価される可能性が高まっています。


◇サプライチェーンの透明化
以上を踏まえて、企業は、人権DD の実施にあたり「見えない労働」の存在を前提としたうえで「見えない労働」が生まれる構造を把握することが重要であるといえます。サプライチェーンの全体像を整理し、どこに労働集約的な工程が存在するのか、価格や納期に無理が生じていないかを確認する必要があります(サプライチェーンの透明化)。特にサプライチェーンの下流については把握が不十分なケースも多く、優先的に可視化を進めることが求められます。それに際しては、通り一遍のチェックリストやアンケートだけではなく、ステークホルダーとの対話や現場視察など積極的な関与が求められます。


また、人権条項を盛り込んだ契約やチェックリスト的な定期監査は、人権リスクの把握、予防、対応にとって有効といえますが、これらに過度に依存すると、構造上の瑕疵を見落とし、対応が不十分になる可能性があります。例えば極端に低い価格や短い納期といった調達条件や業務設計そのものによって、人権リスクを生み出していないかを見直す視点が不可欠です。また、このことからもわかるように、「見えない労働」の多くは、法務やコンプライアンス部門の外で生じているといえます。


調達、営業、開発といった部門の日常的な意思決定が、結果としてどのような労働環境を前提としているのかを共有し、必要に応じて修正する仕組みが求められます。人権DD の実施にあたってはビジネス部門との連携が重要です。

 

さらに、是正や救済の視点から問題が判明した場合に、単に取引を打ち切るのではなく、「見えない労働」を前提とした取引慣行を維持しながら、改善に向けた関与を検討することも重要といえます。


以上のとおり、ビジネスと人権における「見えない労働」は、これまで企業活動の前提として見過ごされてきた労働の存在を、人権DD を通して「見える化」し、既存の人権責任を実効的なものにするための視点といえます。まずは「見えない労働」の存在に向き合い、これを前提に、人権DD を進めることが重要です。

 

※時事速報シンガポール、マレーシア、ベトナム、タイ、インドネシア、欧州、米国の各版2026年3月4日号より転載

 

著者

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入江 克典 Katsunori Irie

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